カテゴリ
全体 吉村桂充略歴 おでかけください 吉村桂充舞の会 游の会 聞修院 舞の会 舞散華 (南蔵院) 法住寺 舞の宴 萩まつり (梨の木神社) 月待ちサロン 桂充舞姿 さまざま 桂充作の舞 秋田の宴 (割烹かめ清) 花萌え会 沙羅の会 能・狂言の舞 高岡通信 梁塵秘抄を読む会 閑吟集を読む会 茶の湯 うたよみ会 とくさ会(連句) 天竺讃歌 海を越えて ふれあい 上方舞友の会 縁の下の力持ち 弓矢の道 鹿嶋神傳の流 紫苑塾 山是神 ラムの日記 けいいんのブログ日記 心に響く言葉 つれづれのうた ぽえむ yoga 以前の記事
2017年 01月 2016年 11月 2016年 01月 2015年 04月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 02月 2012年 11月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 05月 2007年 03月 2007年 02月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 05月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 03月 2005年 01月 2001年 01月 お気に入りブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
霜月二日 紀尾井小ホール 長谷川六ダンス批評/第十四回 吉村桂充舞の会 「上方舞は、京阪におこり発達した舞踊の総称で、金剛流、観世流の能の舞をやわらかくくずして演じたもので、いわゆる本行の舞に土台をおく。」と演劇百科大事典にある。本行の舞とは能や狂言から歌舞伎などに移入した作に対する原作の能・狂言をさす。吉村桂充舞の会においても『八島』の地唄は能の謡からとられている。伝統の元は白拍子で江戸時代に京阪歌舞伎に入った。現在は山村流、楳茂都流、京都には京舞の井上流があり畳一帖で踊るとか都おどりを始めるなど名を広めた。その京都のもう一つの流派が吉村ふじを流祖とする吉村流である。そこで上方舞、地唄舞などについて研究を深くおこなったことがないので、その伝統美に対する論考には至らないが、能の本行の側面から、また竹原はんの地唄舞はその最後の舞台まで見ているので、そのあたりから気がついたことを書いてみよう。 演目は地唄『名護屋帯』と地唄『八島』。『名護屋帯』は三世家元吉村雄光の作舞によるもので、遊女が恋しい人に会えず、名古屋帯が三重に巻ける、すなわちやせ細ったという素材だが、艶物といいつつも腰や腕の位置高さ動きに能の伝統が反映されており、このような場合の主要な課題は踊り手の内発性や内的な衝動の喚起に焦点を与えるべしと思う。この作舞では、舞い手が心情を吐露するには動きが速すぎる。遊女の衣裳、鬘は半端な重いので、たとえば腰を床につけ両脚をそろえて回るなどするが、起点がある動きには速い速度が出る。曲は最後まで恋る心を唄うのでこの速度は何のためあるのか疑問に思う。かしこの曲による立ち姿の妖艶な一瞬は、遊女というには余りある凛々しい美しさで吉村流の伝統とはこれなのかとおもわせた。 作詞二代目嵐三衛門、作曲山本喜市、唄・三弦富田清邦。 『八島』は能の謡の後半がそのまま唄われるもので西行法師が讃岐の八島を訪れると夜半、義経の亡霊が現れ源平合戦のありさまを語るという能の修羅物。衣裳は黒の裾模様で帯は広めで平ら大きめなお太鼓結び。能でいうと袴能の様子に似ている。大仰な衣裳をもちいず、戦いのむなしさとあわれを波間に消えさせんとする様式美が現れている。 吉村桂充の舞は、義経という役にこれ以上ないくらい適合する。すなわち、われわれが思い描く、若く凛々しい戦略家というイメージをそこなうことなく、義経の繊細さや身に起こる源頼朝の謀略に翻弄される運命を舞に託して顕したからである。あわれを凛々しさのなかに顕すことは難関で、竹原はん晩年の舞にはみられなかった領域である。能は男が舞うが、吉村桂充は決して男を舞うのではなく義経に化身している。 扇を取り替え二つに、そしてひとつをうしろに飛ばすなどの所作は能の領域を超えて市井のものである舞の側面を見せた。 作詞不詳、作曲藤尾匂当、唄・三弦富田清邦。 吉村桂充は吉村輝幸(現吉村流六世家元)、吉村雄輝夫(故吉村流五世家元)に師事、地唄、義太夫、能、能の囃子、狂言なども学習、文化庁の在外研修員でもある。吉村桂充上方舞研究所を主宰、上方舞友の会代表でもある。文化庁芸術祭参加作。 2011年11月2日紀尾井小ホール
by keiin_yoshimura
| 2011-11-02 19:25
| 吉村桂充舞の会
|
ファン申請 |
||